牛に引かれて善光寺参り

寒いですね、今日は長野に向かっています。

気心の知れた大切な仲間が、快気祝い?をしようとなりまして、クリスマスに男8人の忘年会です。

せり鍋が食べたいと滋賀の

方がせがむので、仙台芹を仕入れ、新幹線で輸送中です。

こんな忘年会も三年ぶりで、コロナが明けたのを強く感じます。

30代で世界を飛び回った仲間も、もう直ぐ還暦。

今宵の設営は一軒のみ。

 

杖も装具もサポーターもなく、仙台芹を抱えてひとり旅できる。

感謝ですね。

 

 

12月のソウル

12月のソウルに来ました!

さむーい。外はマイナス3度です。

仁寺洞のホテルを出て、光化門近くの武橋洞プゴグッチッまで歩きました。20分ぐらいでしょうか?

待ち歩きは楽しくあっと言う今でした。

お店は今日も長蛇の列。ですが、このお店メニューが一つしかないので、回転が速い!

最高に優しく、美味しいたらのスープを頂きました。

いつきても美味しい店です。

はじめての十份

十份は、台北の北、車で一時間ほどの観光地です。

平渓線という路線の駅があり、目の前を列車が通る事とランタン上げが有名です。少し歩くと滝もあるようです。

私たちは四色のランタンを揚げ、姉様は、健康第一、母は、家内安全、妻は、事業拡大、私は収益好調とそれぞれの思いを乗せて飛ばしました。

アトラクションとしては、ちょっとしたことなのかもしれませんが、筆で墨で書き上げる願い事、そしてそれを飛ばす、一連の流れが実に楽しく思い出深く刻まれます。

 

竹と紙で出来たランタン、飛んでいった後はどうなるのか?と言う環境問題的な疑問が残りますが、一応、生分解性のある素材と言うことで。

母も楽しそうでしたが、姉様が喜んでくれたのも良かった!

何にしろ、親を連れて旅できるぐらい良くなったのが、とても嬉しい。

お母様と台北

八十四になる母が、台北の白菜火鍋とカニおこわが食べたいと言い出しました。 

私が度々訪れる台北の火鍋。旨いんだよと、お伝えはしていましたが、全く信頼されず、下手物なんだろうと思っていたようです。

 

ところが、私のアドバイスを取り入れた弟家族が台北旅行でその鍋屋、長白小館に行き、弟の嫁(元三○物産の秘書課勤務)が、LINEで絶賛したとたん、私も行きたいと言い出しました。

 

弟の嫁さん曰く、まさかこの店、お兄さん、えーっ!!と思ったようですが、次の日も行こうかと真剣に考えたぐらい気に入ったと伝えたそうです。

 

母が一番の信頼を寄せる常務秘書のコメントですから、もう、どうにも止まりません。

コロナで失効していたパスポートも、取り直し、圧力は最高潮。

 

致し方ないので、スポンサー兼医療補助に、医師の姉(実際には教授様なのでどの程度臨床で力を持つかはわからない)を強引にメンバーに加え、母の台湾行幸を企画しました。

84歳の割には元気で、この台北の旅に備え、銀座で洋服をあつらえたそう。

 

さて、私の今までの人生をかけたアテンドですから、全力を尽くします!

 

と言うことで、羽田のANAラウンジなうです。

 

母曰く弟なら、suite lounge だと。

そりゃ、あんた弟は海外駐在中だもの。ダイヤモンドだね~。

 

台北喜来登大飯店、クラブフロアじゃ無いんだよね。

チャーター車もエルグランド取れなかったし、、、。

 

誠実一路、頑張ろう。

 

 

ジャカルタ発の深夜便

 

Welcome on board....

(エンドロールに続きます)

 

ジャカルタからの帰国便は、夜九時半発。

 

帰国便はプレミアムエコノミー、Eクラスを利用しました。

 

体が小さくて得する唯一に近いことは、Yクラス(エコノミー)でも平気なこと。

 

ただ、少し長いフライトだし、ビッディング(空いているプレエコを競りにだす新しい事をanaは、はじめています)を一度やってみたかったので、最低提示金でビットしたら、取れてしまったEクラス。

 

Eクラスの席は少なく4列のみ、2-3-2の座席配置。

いかにもアップグレードとわかる最後列の通路側でした。

 

観光地でもない、ジャカルタ線のオーバーナイトフライト、ビジネス客で満席。素敵な紳士達が集合です。

 

通路を挟んで、左隣のおじ様は、猛烈な加齢臭。夜便だけにたっぷりと常夏の汗をすったジャケットに、タバコの香りをトッピング、饐えて強烈に匂う。卒倒レベル。

彼が、動く度に強く香る。

席を替えてもらおうか、真剣に悩むレベル。

 

右のおじ様は、私がトイレから戻り、不自由な足を引きずり、漸く体を席に入れた時、通路にでたいとのたまわる。

 

私がトイレに立った時、起きていた。彼もトイレには行きたかろうと気を遣い、ギャレ―に寄り、十分な時間を取って戻ったつもりだった。

その間に出ればよいだろうに、よりにもよって不自由な体を押し込んだタイミンクで。

気が利かないと出世しないぞよ。

 

前席のおじ様の高イビキは、後ろの私も閉口した。

旅行時ツインで、いつも苦しむと言うドンマイ奥さんの気持ちが痛い程わかる。

15キロも痩せたのに、何故かイビキは健在!?

 

もって他山の石となす。

 

僕だって押しも押されぬ立派な「おじさん」だ。

 

さて、フライトも終盤戦、6時間を過ぎた朝食サービスの時、飛び職のお嬢様から、突然

「ポールペンお貸ししましたよね。」

確かに税関申告書類が配られた折、ポールペンをリクエストしました。ですが、Eクラスの前の座席の下が、極端に狭くリュックはコンパートメントに。なので、旅券を取り出せてなく、申告書はコンプリートしていない。

って返すんかい?

 

どーやら、朝食サービスで特注され、席番号をメモしたかったようだ。

 

昔々、訳あってアエロフロートのモスクワーマドリッド便を利用。前の人がリクライニングすると、テーブルも同じぐらい傾き、上空では、常にシューっと壁から空気が。ソ連製の飛行機とアエロのサービスあれは酷かった。

 

いつぞやのハワイ便も壁から漏水し、ズボンが濡れた。

赤いスカーフが良く似合うお嬢さんに満席ですと言われ、差し出されたタオル。

パンツを濡らしながらの我慢のフライト。

 

そして2000年閏年2月29日、ソウル金浦-済州線。搭乗後二重発券発覚、まさに2000年問題!二回も席を移され、最後はリクライニングの効かない最後部席に。

 

飛び職アガシが、韓国国内線で英語も日本語もダメ。

何とか降機することなく乗り越えた、ア○アナ航空。何度も聴かれたボランティアを指す韓国語を理解できず良かった。

初めての韓国で、しかも一人きり、ボランティアに応じあの便を降りていたら、果たして、振り替え便に乗れただろうか?

 

極めつけは、スマトラ島のメダン-ニアスのプロペラ機のチャーターフライト。

9人の仲間で利用。

 

オーストラリア人らしいパイロットが二人。偉くぞんざいで、一人は離陸までケータイで、話しっぱなし。

 

ニアス島に着陸時、後部座席で友人のインドネシア人Dina嬢がコーランを抱きお祈りを始めた、まさにその時、突然操縦席から警告音。

Pull up too fast!

オーストラリア人パイロットの声、聞き取れました。

11人の運命や如何に!

 

この他にもバンクーバーの上空でのホールディング。

チャンギでのディレイによる駐機場まち。

空の旅には、ハプニングは付き物です。

 

羽田のランディングは、天下一品に上手かった。

 

だから、そこ、動くな、香るだろうが。

 

あ、降機だ。

 

....ANA a member of star alliance.

気温と痺れ

ジャカルタに来ました。

いや~暑いですねえ、そして寒いです。

冷房がきついのです。

 

ですが、一気に寒くなった日本に比べ常夏のジャカルタは痺れにはよいです。今日は顔の痺れも驚くほど少ないです。

暖かい気候は何よりです。

去年はオルトップという医療用装具でしたが、今回は、市販のハイカットサポーターです。

仙台ではあまり使わない為か、底背屈の制限が強く、違和感があります。

やっぱり、体が進化しているんだと感じます。

 

次の旅行は、ローカットのサポーターで十分行けそうです!

 

 

 

 

 

怒涛のジャカルタ出張

ANAの方で、車椅子必要との申し込みとなっていたと。

いやいや、今月乗った札幌便も八月の伊丹、名古屋も使ってないし。

 

ということで、何故か機械での自動チェックインが出来ず、並ぶ羽目に。

 

羽田は大混雑でビジネスクラスの列も凄いことに。

 

30分以上並び、私の車椅子ステータスと荷物をジャカルタターンテーブルまで送ったので、送り状を発行する都合で機械式のチェックインできなかったと。

 

色々勉強になりますな。

 

と保安検査場でまた、トラブル。

頼まれて買っていた缶ビールが、持ち込みできないと。国内線とはレギュレーションが違うため、また、戻って預け直し。

 

やっとのことでカウンターまできました。

さて、この先どうなりますことやら。