ジャカルタ発の深夜便
Welcome on board....
(エンドロールに続きます)
ジャカルタからの帰国便は、夜九時半発。
帰国便はプレミアムエコノミー、Eクラスを利用しました。
体が小さくて得する唯一に近いことは、Yクラス(エコノミー)でも平気なこと。
ただ、少し長いフライトだし、ビッディング(空いているプレエコを競りにだす新しい事をanaは、はじめています)を一度やってみたかったので、最低提示金でビットしたら、取れてしまったEクラス。
Eクラスの席は少なく4列のみ、2-3-2の座席配置。
いかにもアップグレードとわかる最後列の通路側でした。
観光地でもない、ジャカルタ線のオーバーナイトフライト、ビジネス客で満席。素敵な紳士達が集合です。
通路を挟んで、左隣のおじ様は、猛烈な加齢臭。夜便だけにたっぷりと常夏の汗をすったジャケットに、タバコの香りをトッピング、饐えて強烈に匂う。卒倒レベル。
彼が、動く度に強く香る。
席を替えてもらおうか、真剣に悩むレベル。
右のおじ様は、私がトイレから戻り、不自由な足を引きずり、漸く体を席に入れた時、通路にでたいとのたまわる。
私がトイレに立った時、起きていた。彼もトイレには行きたかろうと気を遣い、ギャレ―に寄り、十分な時間を取って戻ったつもりだった。
その間に出ればよいだろうに、よりにもよって不自由な体を押し込んだタイミンクで。
気が利かないと出世しないぞよ。
前席のおじ様の高イビキは、後ろの私も閉口した。
旅行時ツインで、いつも苦しむと言うドンマイ奥さんの気持ちが痛い程わかる。
15キロも痩せたのに、何故かイビキは健在!?
もって他山の石となす。
僕だって押しも押されぬ立派な「おじさん」だ。
さて、フライトも終盤戦、6時間を過ぎた朝食サービスの時、飛び職のお嬢様から、突然
「ポールペンお貸ししましたよね。」
確かに税関申告書類が配られた折、ポールペンをリクエストしました。ですが、Eクラスの前の座席の下が、極端に狭くリュックはコンパートメントに。なので、旅券を取り出せてなく、申告書はコンプリートしていない。
って返すんかい?
どーやら、朝食サービスで特注され、席番号をメモしたかったようだ。
昔々、訳あってアエロフロートのモスクワーマドリッド便を利用。前の人がリクライニングすると、テーブルも同じぐらい傾き、上空では、常にシューっと壁から空気が。ソ連製の飛行機とアエロのサービスあれは酷かった。
いつぞやのハワイ便も壁から漏水し、ズボンが濡れた。
赤いスカーフが良く似合うお嬢さんに満席ですと言われ、差し出されたタオル。
パンツを濡らしながらの我慢のフライト。
そして2000年閏年2月29日、ソウル金浦-済州線。搭乗後二重発券発覚、まさに2000年問題!二回も席を移され、最後はリクライニングの効かない最後部席に。
飛び職アガシが、韓国国内線で英語も日本語もダメ。
何とか降機することなく乗り越えた、ア○アナ航空。何度も聴かれたボランティアを指す韓国語を理解できず良かった。
初めての韓国で、しかも一人きり、ボランティアに応じあの便を降りていたら、果たして、振り替え便に乗れただろうか?
極めつけは、スマトラ島のメダン-ニアスのプロペラ機のチャーターフライト。
9人の仲間で利用。
オーストラリア人らしいパイロットが二人。偉くぞんざいで、一人は離陸までケータイで、話しっぱなし。
ニアス島に着陸時、後部座席で友人のインドネシア人Dina嬢がコーランを抱きお祈りを始めた、まさにその時、突然操縦席から警告音。
Pull up too fast!
オーストラリア人パイロットの声、聞き取れました。
11人の運命や如何に!
この他にもバンクーバーの上空でのホールディング。
チャンギでのディレイによる駐機場まち。
空の旅には、ハプニングは付き物です。
羽田のランディングは、天下一品に上手かった。
だから、そこ、動くな、香るだろうが。
あ、降機だ。
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