コモエスタ赤坂
赤坂プリンスクラシックハウス
1988年の初夏、ここで食事会が行われた。就職解禁日だった。若い希望に溢れた午後だった。
大学が紀尾井町、勤務先は溜池、某団体は平河町。赤坂は必然的に私の多くの思い出を孕む土地。
昨日も奥さんと平河町の大浴場を楽しみ、赤坂へと繰り出した。
折角の東京だから、仙台で食べられないものを食べようと、あるエスニックのお店に。
赤坂の外れというか、二丁目の裏路地、古いビルの地下一階にその店はありました。かなり怪しい雰囲気も「日本一美味しい」と言う小さな看板を見て入店を決意。
店内には先客の若い外国人カップルが一組だけ。
壁際三方にソファーとテーブルがあり、並んで座るスタイル。
何故か、紙おしぼりもなく、スナックをつまみ、ビールを飲む。
どう見てもレストランダイニングとしてやっていけている感じはない。
八時半を過ぎたところで、若い外国人の女性グループ五、六人がやってきた。何故か、店に二組のカップルが食事していることに驚いている。
早く食べて出ようと思ったら、今度は30代位の男性2人組みが、ドアを開けた。店内を見て、また、驚いた顔をして、
「後で来ます」、と言って出ていった。
なるほど、そういう店か。
やはり赤坂はいつきても赤坂だ。
雰囲気で察した奥さんも一緒に脱出。
気を取り直し、仙台で食べられないものの一つカムジャタンを食べることにした。
奥さんに23才の春に聞いた赤坂ヤカン通りのお話をしながら、マシッソヨのカムジャタンをポックンパにまでして頂いた。
今週末ソウルでの「食い物リスト」から、カムジャタンが消えた、赤坂ヤカンな夜でした。